2024年、大相撲にて大活躍している「尊富士(たけるふじ)」。
そんな尊富士の学歴や経歴など、気になりますよね。
今回は尊富士(たけるふじ)の出身高校や出身大学、今までの戦績などについて、まとめてみました!
【大相撲】尊富士(たけるふじ)の学歴・経歴!「鳥取城北高校」「日本大学」出身
・四股名:尊富士(たけるふじ)
・本名:石岡 弥輝也(いしおか みきや)
・愛称:みきやん、令和のF1相撲
・生年月日:1999年4月9日
・年齢:24歳
・出身:青森県北津軽郡金木町
(現・五所川原市)
・身長:184.0cm
・体重:143.0kg
・BMI:42.24
・所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
・得意技:突き、押し
・出身中学校:つがる市立木造中学校
・出身高校:鳥取城北高等学校
・出身大学:日本大学法学部
・好きな食べ物:馬肉、桃
・趣味:ボディクリーム
現在、大相撲力士として大活躍している尊富士(たけるふじ)の本名は「石岡 弥輝也(いしおか みきや)」。
生年月日は「1999年4月9日」で、年齢は「24歳」。
昔の琴錦(現・朝日山親方)の「F1相撲」を思わせる馬力とスピードから、尊富士は「令和のF1相撲」と呼ばれています。
そんな尊富士の出身高校は「鳥取城北高等学校」、出身大学は「日本大学法学部」となっています。
下記に学生時代の経歴・戦績などについて、まとめてみました!
尊富士の出身高校は「鳥取城北高等学校」
中学3年時に「全国都道府県中学生大会個人3位」「全中個人ベスト8」「白鵬杯団体優勝・個人3位」と輝かしい実績を残した尊富士は、
相撲の強豪校「鳥取城北高等学校」に進学しました。
鳥取城北高校は「照ノ富士」「逸ノ城」「石浦」など、大相撲力士を多数輩出しており、
特に「照ノ富士」は鳥取城北初となる横綱で知られています。
青森出身の尊富士は「15歳で親元を離れるのは寂しくありませんでしたか。」という質問に、
『寂しさよりも、地元を捨てたくない気持ちがあったんですが、僕は常に上を目指す環境でやってきたんで、妥協せずに一番厳しいところを選びました』と答えており、
中学時代に全国3位だった尊富士は、全国1位を目指す覚悟で鳥取城北高校に進学したのだと考えられます。
1年時に全国レベルの選手が集まる「高等学校相撲金沢大会」で、個人ベスト8の実績を残しましたが、
2年時の金沢大会では、左膝前十字靱帯を断裂してしまいます。
3年時は相撲部の主将を務めており、「高校総体個人3位」「選抜高校相撲宇佐大会個人3位」となりましたが、
秋の国体個人準決勝で「納谷幸之介(現・王鵬)」に敗れたときに再び左膝を負傷して、3位決定戦は不戦敗となってしまいました。
ちなみに、高校の同期には「アマルトゥブシン・アマルサナー(現・狼雅)」がいて、
高校3年の全国高校総体・個人戦の準決勝ではアマルサナーに敗れています。
その後、アマルサナーは全国高校総体にて優勝して「高校横綱」のタイトルを獲得。
また、団体戦では、尊富士とアマルサナー率いる鳥取城北高校が優勝候補と言っても過言ではなかったのですが、
決勝で「金沢学院高校」に敗れて準優勝となっています。
高校時代も中学同様に個人戦で「全国大会3位」と輝かしい成績を残しましたが、怪我によって思うように練習できない日々が続き、
尊富士にとっては苦しい時期だったそうです。
尊富士の出身大学は「日本大学法学部」
高校卒業後は「日本大学法学部政治経済学科」に進学して、日本大学相撲部に入部した尊富士。
大学2年時には「全日本大学選抜金沢大会準優勝」「全国学生体重別大会135キロ未満級準優勝」「全国学生選手権団体優勝」などの実績を残しましたが、
全国学生選手権団体決勝戦にて、今度は右膝を負傷してしまいます。
その後は、大学3年時に「全国学生選手権団体優勝」、大学4年時に「全国学生選手権団体3位」「全国学生相撲個人体重別選手権大会無差別級16強」となりました。
大学の同期には「川副圭太(現・輝鵬)」がいて、川副は大学4年時に全国学生相撲選手権大会・個人戦で優勝して「学生横綱」のタイトルを獲得しています。
高校時代は同期のアマルサナーが「高校横綱」となり、大学時代は同期の川福が「学生横綱」となり、
尊富士自身、嬉しい気持ちと共に悔しさも感じていたのではないでしょうか。
また、尊富士は高校・大学時代に『将来はプロになりたい』という気持ちがなかったようで、
元々はトレーナーになろうと考えていたそうです。
尊富士はトレーニングが大好きで、ベンチプレスは最大で220kgを上げてしまうほど。
高校・大学時代に脚を怪我してばかりだった尊富士は、下半身を鍛えられない分、上半身のトレーニングに専念していたんだとか。
好きなことを仕事に活かせればと考えていた尊富士でしたが、大学4年の全ての試合が終わったとき、
一度も個人タイトルを取れなかった悔しさからプロ入りを決意したそうです。
『地元からの関取誕生』が尊富士の夢となりました。
(※地元=青森県北津軽郡金木町)
大学卒業後は「伊勢ヶ濱部屋」に入門!
大学卒業後は「伊勢ヶ濱部屋」に入門した尊富士。
伊勢ヶ濱部屋師匠の「9代伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)」は青森県出身で、毎年青森県内で合宿を行っており、尊富士は中学生時代から伊勢ヶ濱部屋との交流を持っていたそうです。
ちなみに、「尊富士」という四股名は、「尊」は高い地位を目指すという意味、「富士」は9代伊勢ヶ濱の現役時代の四股名・旭富士に由来しており、9代伊勢ヶ濱によって命名されています。
また、高校時代に伊勢ヶ濱部屋所属で鳥取城北高校の先輩である「横綱・照ノ富士」の生き様、相撲への真面目さに感銘を受けたこと、
伊勢ヶ濱部屋が関取の多い名門だったことで、入門を決めたそうです。
照ノ富士が膝の怪我などで大関から序二段まで番付を落としてしまってから、横綱まで上り詰めた経歴を持つことも、入門を後押ししたんだとか。
そんな尊富士は、尊敬する照ノ富士からブチ切れられることもあるそうで、
上半身を鍛えるのが大好きでウエイトトレーニングばかりしている尊富士に『上半身のトレーニングをするな。四股とすり足だけをやれ』と怒るそうです。
数日後、照ノ富士は忘れてるかなと思って、上半身のトレーニングをしていたら再度ブチ切れられたこともあったんだとか。
照ノ富士自身も怪我によって苦しんだ過去があるからこそ、『下半身をしっかり鍛えてほしい』と考えているそうですよ。
実際にブチ切れ事件の後、上半身のトレーニングを全くやらずに、四股とすり足で下半身を鍛えていた結果、2024年1月場所にて尊富士は「十両優勝」を決めることができました!
2024年3月場所でも大活躍している尊富士ですが、格上相手に気後れせずに戦えるのは、部屋に照ノ富士がいるからなのでしょう。
普段から一番強い人と稽古しているからこそ、それだけで自信となり、本場所で格上相手に勝ち切れるのだと考えられます。
照ノ富士は尊富士について『真面目で素質があるし、ちゃんと芯の通っている子。仲間を大事にする一面もある。』と評価しており、
スカウトして伊勢ヶ濱部屋を選んでくれたからには、強くしてあげたいと考えているそうです!
そして、十両昇進を果たして、「地元からの関取誕生」という夢を叶えた現在の尊富士の夢は『横綱と一緒に土俵入りすること』なんだとか。
尊富士は「青森県」出身の日本人力士!
尊富士はとても強い力士ですが、モンゴル人ではなく日本人であり、出身は「青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)」です。
祖父がアマチュア相撲の強豪だった影響で保育園のころから相撲を始めており、
保育園時代は稽古後にコンビニで買ってもらえる「唐揚げ」が楽しみで、稽古をしていたそうです。笑
小学生の頃から『諦めたくない』『自分のやっていることから逃げたくない』という気持ちが強く、
わんぱく相撲全国大会では小学4年時に「個人ベスト8」「団体優勝」、小学5年時に「個人3位」という結果を残します。
小学4年生のときに1年間だけ「野球」もやっていたそうですが、わんぱく相撲全国大会での上位入賞を機に相撲一本に絞るようになったんだとか。
地元の金木小学校卒業後は、同じく地元の金木中学校に進学しましたが、中学1年のときに相撲部がある「つがる市立木造中学校」に転校。
つがる相撲クラブ(現・つがる旭富士ジュニアクラブ)にも所属して、稽古に汗を流す日々を過ごしており、
中学3年時には「全国都道府県中学生大会個人3位」「全中個人ベスト8」「白鵬杯団体優勝・個人3位」に入賞します。
ちなみに、伊勢ヶ濱部屋の親方(元横綱・旭富士)も「木造中学校」出身なので、尊富士は親方の後輩ということになりますね。
つがる相撲クラブは伊勢ヶ濱部屋の「夏合宿」の場所でもあるため、その時に尊富士と伊勢ヶ濱部屋の交流が生まれたそうです!